いじめの経験が私に与えた影響

私は小学校、中学校、高校と、長きにわたりいじめを経験してきました。

運動が苦手だったことに加え、常に自分に自信が持てず、他人の顔色ばかりうかがってしまう性格が、

いじめのきっかけとなることも少なくありませんでした。

当時は

精神を病む人=社会不適合者

という認識が一般的で、精神科に通ったり、カウンセリングを受けたりするのは

頭のおかしい人

のレッテルを貼られることでした。

 

また、精神的に不調であっても、38℃の熱があるわけではないから

学校を休む理由がありませんでした。(本当は休まないといけません)

「学校行きたくない」

と両親に伝えても、

「学校なんて、誰でも行きたくないよ。あなただけが特別じゃない」

と言われ、ひきこもらせてもらえませんでした。

そんな私の、学生時代のエピソードをご紹介します。

 

小学校時代

小学校では、特にドッジボールでうまくボールを投げられないことをからかわれることが多くありました。

物を隠されたりすることもあって、学校に行くのが嫌でたまらない日々でした。

いつも周囲にどう思われるかが気になり、

ゲームでいうところの、残り1基かつ、体力ゲージが残り数パーセントの状態が日常だったため

どうすれば怒られないかばかり考えていました。

いじめてくるのはいつも同じ子だったので、そいつと違う学校に行くために中学受験をして、なんとか中高一貫の第一志望校に合格することができました。

中学校時代

やっとの思いで合格したものの、中学校に進学しても状況は変わりませんでした。

グループで行動することが増える中で、私は

「なんでそんなに人の顔色ばかり見てるの?」

と友達から責められることがありました。

クラスメイトから悪口を言われたり、無視されたりすることも続き、自分の存在を否定されているような感覚に陥りました。

部活動でも、自信のなさが態度に出て後輩になめられたり、

陰口を言われたりすることもあり、居場所を見つけることができませんでした。

この頃から、性に悩むことも増え

・男性の体つきで生まれた

・学ランを着ることに違和感はない

・女の子に恋をする

でも

・いたずら好きの男子なんてサイテー!

と思う性格に気づき、恋心が芽生えても

「男の子なんかに生まれてしまってごめんなさい」

と、その気持ちに素直になれない日々が、20歳まで続きました。

高校時代

高校では、精神的なプレッシャーに押しつぶされました。

特定の人たちからの陰湿な嫌がらせは続き、学校にいる間は常に緊張し、誰かに見張られているような感覚がありました。

自分の意見を言うことが怖くなり、

ますます他人の顔色をうかがい、

自分らしさを失い、

最後には涙が止まらない日が何日も続いて、精神科通院を余儀なくされました。

それでも、単位は満たされており、どうにか高校を卒業しました。

 

私は、人生で一番キラキラしている日を、当たり前には過ごせませんでした。

私の心の深い傷跡は、消えることがありません。

今では、新しい環境に飛び込むことや、人前で自分の意見を言うことに慣れましたが、

それでも常に「自分はこれでいいのだろうか」「相手にどう思われるだろうか」と不安に苛まれ、自分を肯定することが難しいと感じています。

 

しかし、これらの経験があったからこそ、

他人の痛みに寄り添いたいという気持ちや、

自分と同じような辛い思いをしている人がいるのなら支えになりたいという思いが生まれました。

この経験と向き合い、乗り越えることで、いつか同じように苦しむ誰かの力になれる日が来ることを願っています。

 

以上となります。

ここまでご一読いただき、誠にありがとうございました。

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